2008年2月3日日曜日

懐かしのグラビアアイドル

1980年に入り、同年1月に週刊朝日の表紙モデルでデビューした宮崎美子が、同年3月に放送された一眼レフカメラのCMで私服からビキニに着替えるシーンとその軽快なCMソングで大きな反響を呼び、グラビアでも同様の活躍をみせた。さらに回を重ねた『ホリプロタレントスカウトキャラバン』も1981年に堀ちえみ、翌年にはセクシーでワイルドなイメージを持つ大沢逸美を輩出し、グラビアに華やかさを添えている。

1982年に講談社が少年漫画誌の企画としてアイドルグラビアの読者投票コンテスト『ミスマガジン』を創設。写真家の野村誠一が企画段階から参賀したことでグラビア写真そのものの質も高く、第1回の受賞者・伊藤麻衣子(現:いとうまい子)が好評を得た事から年1回の定期開催が決定。以降アイドル歌手以外に雑誌をベースに活躍するアイドルというものが定着し始める。その後も1984年第3回開催グランプリの斎藤由貴、同準グランプリの田中美奈子、第4回開催グランプリの八木小織(現:八木さおり)、1986年第5回開催グランプリの高岡早紀、また受賞者以外からも森尾由美、南野陽子、小沢なつきという好素材が続々と現れた。

彼女たちのグラビアは水着を着用しながらも、エロティックさとは無縁の、元々彼女たちが持っていた清純なイメージを崩さないものであり、更に歌手や女優としての活動もスタートさせ、それらはおおむね成功していった。また同年に創刊された『スコラ』(当時の株式会社スコラ刊)他、この成功を受け彼女たちを誌面で大きく取り上げたグラビア雑誌もこの頃続々と創刊されている。この流れは1990年に「ミスマガジン」が終了(6年後に復活)するまで続き、今日のグラビアアイドルは、主に1980年代半ばにその根幹が形成されたといっても過言ではない。

なお野村誠一は『恋写』のシリーズタイトルで数多くの雑誌グラビアや写真集において新人グラドルを多数世に送り出し、篠山紀信、山岸伸等と共に、グラビアの地位向上に大きな影響を与えたカメラマンの一人として大きな足跡を残した。水着キャンペーンガールは1966年、資生堂が夏のキャンペーンで起用した前田美波里が第1号と考えられている。1970年にテイジンが起用した秋川リサは当時、テレビの人気深夜番組であった11PMのホステスも勤め、タレント進出した水着キャンペーンガール第1号と考えられている。

繊維素材メーカーの水着キャンギャルは最盛時7社を数えた。そのキャンギャル7名が勢ぞろいした1998年11月に行なわれたJSAの水着ファッションショーは後に女優、タレントとして活躍したモデル(井川遥、植松真美、片瀬那奈、菊川怜、響美、滝沢沙織)が多かったこともあり、伝説になっている。グラビアページに掲載されている写真を指すが、こちらもグラビア(あるいはグラビアフォト)と呼ばれる。英語では、a gravure pictureまたは、a photogravure(フォトグラビア)で、フォトグラビアとはグラビア印刷という意味でもある。

「グラビア写真」については、すでに言葉としてグラビア印刷との直接の関係はなく、男性週刊誌などの雑誌の影響から、女性アイドルやタレントのピンナップなどの写真を指すことが多い。一概に女性を指して「巨乳」と言ってもそこに明確な基準があるわけではない。ある女性アイドルが巨乳に当て嵌まるかどうかは、あくまでそれを見た者の主観に委ねられている。ただし外見上の見た目において、相当数の人間が体全体との比率でバストサイズが明らかに大きく見える女性アイドルは、概ね「巨乳アイドル」と呼ぶことが出来るだろう。

また実際のバストサイズとそのカップ数は巨乳であるかどうかの大きな判断材料になりえる。その昔はバスト85cm、Dカップ以上の胸を持つ女性アイドルを指して「巨乳アイドル」とされていた事例が多くみられた。しかしながら胸の大きさはその下のウエストサイズとの比較で大きく見える場合もあり、一概にそのサイズが絶対的な基準である、というものでもない。ただしカップ数がAカップからCカップある女性は、外見から巨乳に見えることは殆どない。一般的にグラビアアイドルとして活躍している者はスリーサイズを公表している場合が多いので、そのサイズが判れば巨乳かどうかの判断は比較的容易である。

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